/
八戸港は活気ある港である
八戸港は活気のある港である。
ここはイカの町。あちこちに、沢山の集魚灯を備えたイカ釣り船が見える。
久しぶりの入港に戸惑いながら、広い港内をうろうろした挙句、舘鼻埠頭の岸壁に空きを見つけて舫う。ヨットが珍しいのかさっそく、地元の人達に囲まれた。
「あんだらどごから来た?」
「和歌山です。」
「へーっ。どこさ、まわってどこ行く?」
「実は、アラスカに向かっていたのですが、時化で戻ってきました。」
「そりゃーダメだわ。ここいらはヤマセが吹くで、あぶないよ。」
「はぁ・・そうでした。」
  
八戸港高田さん    八戸港に舫いをとるハーモニー
昔から漁業の町でイカ漁の盛んな一時期は船と人がひしめき合う港であったという。船や海流に詳しい人が多く、話題に事欠くことはない。
港の人たちは暖かく私たちを迎えてくれた。毎日、入れ替わり立ち代り沢山の人がヨットを訪れた。
じっと眺めて去っていく人もいれば、車を止めて話し人もこむ人もいる。
耳慣れない青森県の南部弁も、数日後にはなんとか失礼のない程度に会話がつながるようになった。とは言っても「エンジンは何馬力か」と聞かれ、夫は「はい、家族3人です。」と答えていたのだが・・・

上陸しさっそく銭湯を探す。なんだか酒に酔ったように頭がふらふらする。
話には聞いていたがこれを陸酔いというのだろう。意識するもまっすぐ歩けず、少しの距離を歩くだけでもとても疲れた。
同行している犬も、歩かせるとなんとなく千鳥足ですぐに「抱っこ」をせがんだ。
八戸市は、銭湯の数日本一だという。港の近くにある銭湯『松竹湯』は座敷のある銭湯だった。湯に体を浸すととても気持ちが良いのだが、体が揺れて長く湯にいられない。悪い汗と汚れと湿気でカビが生えている髪を何度も洗った。

船内の寝具、クッション、使用していた衣類全て塩を含みぐっしょりと濡れており 数日間は洗濯に追われた。特に、ソファのクッションは布張りで、塩気と湿気を含み、ずっしりと重い。
全てに湿気が付きまとう。本やお金、腕時計やお箸などにもカビが生えており、それらを処理するのはうんざりする作業だ。
それでも、大切な物は、タッパーウェアに入れてシリカゲルをストッキングに多めに詰め、容器の中で管理していたのだが、それらは全く状態が良く、驚いたことに味付け海苔などもドライな状態のままであり、密閉容器の性能の良さには本当に助けられた。

港に停泊するうち、漁港で魚を売るおばさんや、漁師さんと言葉を交わすようになり、採れたてのするめイカや、よく熟れたさくらんぼを頂いたりするようになった。
表面の皮を触ると色の変わる目のきれいなイカの皮をさっと剥いで刺身にし、わさび醤油で口に運ぶと、なんとも甘い身に思わずうなる。
さくらんぼは佐藤錦という品種を青森の人は好むらしい。
実がはじけたように割れているさくらんぼは、価格も安くてとても甘い。
「割れ」と書かれたさくらんぼを見つけるたび、旬の恵みを堪能した。

八戸では地元のヨットマン、久保さんご一家と知り合った。
思いもよらず、青森に入港することになったけれど、アラスカにたどり着けなかった無念さとこんなはずじゃなかったという思いが家族の中にあった。
誰も口には出さなくとも、なんとなく、バツの悪い思いは皆感じていた。
そんな私達に久保さんは「引き返すのも勇気が要りますからね」と、暖かい心遣いで家族ぐるみでもてなして頂いた。色々な所に連れて行っていただいた。
特に八戸の三社大祭や青森のねぶた祭りは見事で、厳しい冬の雪から開放された人達のエネルギーのはじける姿そのままだと感じる。久保さん家族との出会いがなければ、八戸で40日も滞在しなかっただろうと思う。
偶然の出会いのすばらしさを、私たちはしみじみ感じた。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、重い腰をやっと上げ、次の寄港地、函館に向かうことにした。
久保さんのお嬢さんと
愛ちゃん
七夕祭り 愛ちゃん 自家製のパン
十和田神社お母さんと
愛ちゃん
ねぶた祭りを楽しむ
愛ちゃん
青森ねぶた祭 青森ねぶた祭
八甲田山をバックに
高田ファミリー
くつろぎすぎるモコ