金沢港での日々は最悪だった。
港湾事務所から指定された『小型船舶用の停泊地』というのは港の出入り口付近に位置していて、造船所の前の狭い船だまりであった、ここでは北西風はまともに受けるだろう。
私達のほかに舫う船はない。他の港に移動するにしても今夜から次の低気圧が来るだろう。「仕方がないな。予報では2日後に回復するらしいからここでがんばろうか・・」夫は黙々とアンカーを入れて、舫いロープを増やしている。
10月31日、その夜から吹き出した北西風は15メートルを越え、防波堤を超えて進入する波浪は船を揺さぶり続けた。舫いロープがきしみ、切れるロープも出てきた。私達は港内の船中にいながら防寒着を付け、長靴を履き、眠れぬ夜を過ごしていた。対岸からもう1本のロープをとりたいのだが岸壁に飛び移ることさえままならない。
明け方の4時半、なんとつり道具を持った人影が見えた。
「すみませーん、船から降りられないので、このロープをあそこの対岸に引っ掛けてきてくれませんか?」「いいですよ。」快く答えて下さったので、舫い結びを作って釣り人に渡した。
こんなに寒い、こんな天気の朝早くから人が来るなど本当に助かったとしか言いようがない。地獄に仏とはこの事である。
夫は娘の学習用に設置しているホワイトボードに、港内のハーモニーの舫いの見取り図を書いた。『この舫いが切れたらエンジンをかけ、岸壁に張り付かないようにして、この舫いを巻き上げて・・』といった、シュミレーションを幾度となく繰り返す。
次の手そのまた次の手を何度も何度も考え、「もしも、アンカーが抜けたら。もしもロープが切れたら。」の時に備えていた。
憎らしいこの寒気は3日たってもおさまらず、私達は岸壁に降りることもできず、船内に閉じ込められていた。天気図を見るたびに「まだダメだな・」とがっかりする。
食糧は多めに積んでいる。3人の旺盛な食欲ではあっという間に減るだろうけれども、水は七尾で600リットル満タンにしているし、米も30キロはある。これさえあれば何の心配も要らないのだと思うと、精神的にとても助かる。
入港して5日目の11月5日朝、デッキには雪が積もり、周りの海岸も山も真っ白の雪景色だ。昼頃、決死の覚悟で地元のヨットマンの小坂さんが揺れる船を訪問して下さった。
「この船を見つけた時はもう乗り込める状態ではなかったんですよ」と、おっしゃる。そういえば、夜中、岸壁から車のサーチライトをこちらに向けてじっと停車する車があった。
その時は、舫いの心配からその存在を気に留めていなかったが、恐らく私達を見守る小坂さんの姿であったのだろうと思う。
デッキに雪が
積もりました |
金沢港船内で |
船で将棋をする |
マイナス33度の寒気は能登半島の輪島上空に居座り、大粒のひょう、雪、雷、そして竜巻による被害まで加賀地方にもたらし、6日の朝ようやく寒気が緩んだ。
大きなうねりの残る中、北風から逃げるように私達は出港した。
前方で黒い雲が海面に垂れ下がっているように見えるのは、なんと竜巻だった。
「竜巻はめすらしいことではないんですよ」と小坂さんから聞いてはいたが、
海上で竜巻を見たのは初めてだった。
これを避けて進路をとり、次の寄港地柴山港に向かった。
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