佐渡島の小木港を出て、新潟県の能生港で一夜を過ごし、翌10月12日早朝、能登半島の七尾に進路を取った。
姫川前では7〜8メートルの風で順調に快走していたのに、富山湾に近づくにつれ凪になる。鏡のような海面を機走しながら前方に見る七尾湾は入り口が狭く、大河の先にある滝壺に向かって流れてゆくような錯覚に陥る。
地元ヨットマンの野桑さんがお嬢さんと犬のレオ君とともに、港の入り口から水先案内をして下さった。迷路のように辺りを覆う定置網の隙間を蛇行しながら進むと、辺りは日本海の雄々しい顔ではなく、瀬戸内の海のように穏やかで島が点在し、懐かしい気持ちになる。
私達はいくつかの入り江を横切り、暗礁を避け、北湾奥の西岸に舫いを取った。
ここは野桑さんの私設ハーバーである。私達はここで、至れり尽くせりのお世話になった。
七尾湾入口
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七尾湾 野桑さんが案内してくれました |
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ハーモニー
マストトップから |
野桑さんのお嬢さんとレオ君 |
野桑さん
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トライスルの修理
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ハリーポッターを
買いました |
七尾では青森の久保さんの息子さんで憲洋君の訪問を受けた。
「八戸からこんなに遠いとは思わなかったので、途中の新潟でくじけそうになりましたよ。」と笑う。
一人で車を運転してくる道中はさぞ遠く、疲れただろう。
私の大好物であるなつかしい「南部せんべいのしょうゆ味」のお土産まで頂いた。
その後、和歌山の父と妹夫婦も犬をつれて遊びに来た。
半年振りに見る懐かしい顔に、娘も大喜びである。私達は以前、2匹のシーズー犬を飼っていた。1匹は11歳で、船にも慣れており、この旅に連れてきたが、もう1匹はまだ2歳で私達の元に来てから5ヶ月だった。
『狭い船での暮らしに慣れるより新しい飼い主に慣れるほうが犬にとって幸せではないか。』
と何度も考え抜いた末、父に委ねてきたのだった。
その犬が私達の顔を忘れず、大きく尻尾を振り、顔中を舐めてくれた。
それ以上にうれしかったのは、父が、まるで孫のようにその犬をかわいがり、又、犬も父の傍から離れない姿を見て、半年間いつも胸の中につかえていたものがすっと軽くなった気がした。
和歌山から家族が
来ました |
10/25輪島へ
行きました |
この七尾の穏やかさと、便利な生活の中で、私達の持っていた緊張感はしだいに抜けて、あまりの居心地の良さについ、長居してしまった。
秋が足早にこの地を駆け抜けるのを気づかず、季節はすでに変わってしまった。
10月21日からだらだらと、天気の悪い日が続き、なかなか出港できない。
そしてとうとう27日には関西では木枯らし1番というニュースが流れた。
これ以上七尾にいると、今年はここで越冬しなければならなくなるだろう。
「何とかチャンスをみつけないと・・・早く早く・・」気持ちばかりが焦る。
そして、わずかな日和の合間を見つけ、10月29日、私達は七尾を出港した。
船の灯油コンロと無水鍋 |
船の調味料管理 |
船の食糧管理 |
七尾 入港 10/12 出港 10/29 |
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