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ついに出港してしまった・・・・・・・ |
「ついに出港してしまった・・」小さくなる和歌浦港を背中に、ため息が出た。 私達家族3人は、去る2002年5月22日。家族や友人知人の見送りを受け,母港である和歌浦を出港した。「それまではあれもこれもと気になるけれど、出てしまえばすべて忘れるよ。」と誰かが言っていたけれど、なかなかそうはいかず、「出刃わすれたなぁ・・冷蔵庫の蜂蜜持ってきたかな・・そうだ家の庭先においてきたロープもってくりゃよかった・・」 など、置いてきた物に未練が残り思い出しては又ため息が出る。 出港日を決めたばかりに、準備途中で飛び出したのである。 船内の固定や整理も半ばであり、夫は、しばらくの間、大崎の大和造船でお世話になるときめており、出港から1時間後、「夢ひょうたん」に横抱きするかたちで停泊した。 大和造船ではハードドジャーを製作させていただいたり、航海準備のため半年以上通いつめた所であり、ここに舫うと夫はホッとするらしく、なんだかうれしそうである。 ここでの数日間は家族が船に慣れる良い訓練期間となった。 「夢ひょうたん」の吉本さんからは航海中の食事について、「日本近海は荒れるから航海の数日間は食べやすいものを準備すると良いよ。」 「あのーカステラなんかはどうでしょう?」「うーん・口の中の水分をすうからねぇ・・簡単に飲み込めるビタミン入りのゼリーとかお粥はいいと思うよ」「ゼリーですか・・」「うん。多分3日ぐらいは食べたくないから、スタミナを落とさないようにする工夫をしないとね。」 「3日ですか・・・」航海に備え、どのようなものを具体的に準備すべきかをおしえていいただいた。これは私にとって本当に欲しい情報であった。 この数日のリハビリを経て5月27日早朝、ゆっくりと「ハーモニー」は串本沖の黒潮目指して再び帆を揚げた。数日は、天気にも恵まれ、追い風を受けて順調に帆走した。 とはいえ、伊豆周辺の三角波を船体に受ける頃、私はひどい船酔い状態だった。 胃を絞られるように幾度となくこみ上げる嘔気に何度も嘔吐しながら、船の揺れに体が慣れるのをじっと待った。 しかし、11歳になった娘は全く船酔いしない体質らしく、1日中空腹を感じるらしい。 親の倒れているのをこれ幸いと、隠していたお菓子を見つけ出し、思う存分食べていたようである。 出港後数日し、この航海がシェークダウンになってしまったハーモニーにはいくつか問題が起こっていた。まず、今回の航海用に取り付けたウインドベーンが動かなかった。 どうやら、ベーンとウェイトのバランスに問題があるらしい。 再度どこかで微調整をしないと海上では解決の見込みはなかった。 そして、あてにならない妻と子をクルーとする夫にとってウインドベーンはこれからの長い航海にあてにしている大切なクルーであった。 また、思った以上に冷蔵庫のない生活では食料の痛みが早かった。真空パックのベーコン、サラミや、卵以外の生鮮食品は3日ともたず、かなりの量を廃棄することになった。 この海域には寄港する予定はなかった為、港湾情報を持っておらず、娘の教科書「社会地図帳」を引っ張り出し、現在地から一番近い港をGPSにセットし、霧と暗礁にビクビクしながら、手探りで福島県小名浜港の「いわきサンマリーナ」に入港した。 ここはとても整備されたマリーナで、ご好意で車を貸していただき、必要なものすべてを購入、修理でき快適に過ごした。そして、改めて3日後この港を後に、アラスカへと舵を向けた。 |
5/22和歌浦出港 5/27大崎大和造船出港 6/5 福島県小名浜港「いわきサンマリーナ」入港 6/8 いわきサンマリーナ出港 |