ハウステンボスを出港しその後
「また戻ってきてもよかけんね。・・・」
4ヶ月の越冬を経て、ようやく『ハーモニー』のもやいを解き、2003年4月10日、私達はハウステンボスマリーナを出港した。皆さんの優しい別れの言葉に、胸が熱くなる。
長く停泊すればするほど、港を出るのが億劫になる。安心できる停泊地だと、なおさら荒海に乗り出すのは怖いと感じるのは、夫も同じだろうか・・・
久しぶりの外海。その日は50マイル先の脇岬港に入港し、『ノモレイ』とある冷凍倉庫前の岸壁に停泊した。早速マリーナの鳥尾さんに電話をすると、「ハーモニーもフォクシーもいなくなって、カラのポンツーンをみていると寂しくて、ジーンとなるッちゃ。」と言っていた。
船の別れは港を離れる私達より、見送る人のほうが何倍も寂しいのだ。
翌日は前線の通過で日和待ちとなる。
時折激しく吹きつける風の音や船体を叩く横殴りの雨の音を聞きながら、窓の外を見ると、遠くに少しの明かりが見えるだけ。
「外が暗いと寂しいね。ハウステンボスはよかったねぇ・・。」と話しかけるも、夫と娘は「天気悪いから発電機を回してDVDでも見ようよ。何かお菓子ない?」と、遊んでいる。
悪天候も楽しんでいるようだ。
4月12日、前線の影響で、うねりの残る海に走り出したとたん、鈍った体は揺れに適応できず、夫婦とも船酔いが始まる。激しい嘔気嘔吐、頭も体も重く、強い倦怠感。この揺れを体が受け入れるようになるまで、じっと我慢するしかない。
出港から8時間後やっと
鹿児島県阿久根港(旧港)に入港した。
「あんた、ブリ食べるか?網にかかった天然だから美味しいよ。
漁師が上手いと言うから間違いないよ。」「エッ!!食べます。食べますよ、大好き。」
阿久根港旧港 |
ブリの刺身 |
猟師さんご夫妻 |
中馬さんとザボン |
横抱きさせて頂いた漁船のおじさんが、大きな鰤の刺身をご馳走して下さった。
とろりと脂ののった切り身を、鹿児島の甘くて濃い醤油で頂く。甘くて新鮮な身が口一杯に広がると、もう船酔いなど忘れてしまう。ヨットのマストが見えたので、見物にきたという中馬さんも現れ、しばらく楽しいおしゃべりを楽しむ。鹿児島は私の父の故郷である。その地ではじめて出会った人から、親切なもてなしを受け、なんだか心が温かくなった。
4月13日は甑島の平良港へ入港。
新港から続く、細い水路を奥へと進むと、周囲を山と巨岩に囲まれた、小さな港がある。
台風の避難港だというこの港は、静かではあるけれど、銭湯も何もない。
村を歩き、天ぷらにすれば美味しいという『あおさ』と、少しの食料品を買い、その日は7時から眠りについた。明日は枕崎に向かう。
4月14日、枕崎港に入港。
まるで、集合の合図を受けたかのように、かつお漁を終えた船がどんどん入港してくる。
あっという間に広い港が、何艘も横抱きして繋がる漁船で一杯になる。
仕方がないので、私達も漁船に横抱きさせてもらう。
明日は何時に出るのかと聞くと、「多分、今日は出ないと思うけど、いつ出るかわからないなぁ・・」と言う。「鰹に聞いてくれ」と言うことなのだろう。
広い枕崎港の周辺を買い物ついでに散歩した。
スーパーも銭湯も徒歩の範囲にあり、漁の合間に寄港する船乗り達には居心地の良い港なのだろう。赤銅色をした銭湯帰りの漁師さん達が大勢、気持ち良さそうに歩いており、あちらこちらの漁船では酒盛りが始まっている。港町風情の残る夕暮れだった。
いつでも飛び起きられるように、夜は早々に布団にもぐりこむ。
夜明け前の3時半、隣の漁船に集魚灯が灯った。
「コンコン」と窓を叩いて合図している。出港するようだ。
横抱きされる安心からか、昨夜はぐっすり眠れたようで、気分はすっきりしており、出漁の喧騒とその明るさにつられて私達も出港してしまった。
漁船軍は、あっという間に見えなくなり、月明かりも無い真っ暗な海にポツンと残された。
「もう少し、漁港にいればよかったね。」と後悔しながら夜明けを待った。
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