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/奄美大島南西岸と加計呂麻島の間に流れる大島海峡がある。
宝島で『フォクシーレディ』と別れた私達は、東の風に吹かれながら、
5月2日奄美大島の名瀬港に入港した。
今は運行していないグラスボート乗り場前の岸壁に舫いをとった。

『FREYA』香港から
隣には、香港から来たという タヤナ55『Freya』が停泊している。キャプテンのボブとクルーのアルフォンズは、これから本土をクルージングするらしい。
「気象FAXの調子が悪く、天気図が取れないので困っている」と相談を受け、夫はパソコンで気象FAXの電波を受信するシステムで、天気図も衛星写真も受信できるようセットしてあげると大変喜び、その夜、焼き肉屋でご馳走して下さったのだが、レジで持ち金が足らずみんなでゴソゴソとポケットを探り、どうにか払いを終えた。

名瀬港の親戚一家です
名瀬には叔母夫婦が住んでいる。私達が名瀬に到着した事は、早速、父と和歌山の叔父の両方から連絡が入ったらしく、タクシーで迎えに来て下さり、その夜は叔父のトライアスロン仲間の経営する『アスリート』という居酒屋で夕食をご馳走になった。
叔父は、朝は港から10キロ先の会社に自転車で出勤し、夜は自宅から、『トレーニング』と称して、シーカヤックで港に現れ、帰りは闇の海に点滅灯を光らせながら、漕ぎ出してゆく。とてもマッチョなのである。
奄美大島南西岸と加計呂麻島の間を流れる大島海峡の南東部に古仁屋港はある。5月10日名瀬港から古仁屋港へと移動した。

古仁屋港の愛ちゃん
岸壁に腰をかけ、海面を見下ろすと、まるで天然の水族館をのぞいているようである。キビナゴの群れをカマスが追いかけ、ハリセンボンや色とりどりの熱帯魚が泳ぎ、海面に見え隠れする丸い頭は大きな海亀だった。
港は船の出入りが多く、海峡を往来する船舶のうねりが進入し、落ち着ける港ではないが、徒歩10分もあれば、銭湯や郵便局スーパーまで行けるという便利な所である。

自作したテンダー
和歌山を出港時、テンダーとしてデッキに積んできたOPは、成長期に入った娘と運動不足の私達により、重量オーバーとなっていた。
そろそろ、3人と1匹が乗れるもう少し浮力のあるものを手に入れる必要に駆られていた。
夫は、地元で『海工房夢丸』を営む葛西さんの工場を借り、テンダーを自作することを決めたという。
この間、娘を地元の小学校に通わせることにした。
家族で楽しむことを目的としているヨットの旅だけれど、娘にとってはどうなのだろうか。行く先々で同世代の子供と遊べたのは今まで数えるほどしかない。
それが私の心にいつもある心配事だった。
登校期間1ヶ月足らずの中途半端な転校生だが、「ぜひ、通ってきて地元の子供と交流して下さい。」と校長先生から嬉しいお返事を頂いた。
                  
ヨットで宿題      古仁屋小6年2組のお友達   古仁屋小6年2組のお友達
1年ぶりの集団生活に緊張しながら登校したようだが、人懐っこい島の子供達はスムーズに娘を受け入れてくれたようである。その日から毎日、『ハーモニー』に遊びに来てくれた。
ランドセルを岸壁に置き、梯子を使い、どの子も上手に乗船してくる。
さすが島人、キャビンで宿題を広げても、船酔いする子は1人もいなかった。
この島の学校ではお互いを名前で呼び合うのが普通らしい。娘も「あい、あいさん」と呼ばれ、週末には友人宅に泊りがけで遊びに行くようになり、携帯電話の着信履歴は見知らぬ番号で埋まった。
      
古仁屋小学校6年2組      古仁屋小6年2組の皆さん
担任山下先生