奄美大島南西岸と加計呂麻島の間に流れる大島海峡がある。
古仁屋港に寄港した理由の一つは、『二人だけのヨット旅行』の著者、神田真佐子さんの『アストロU』が今もここにあるとお聞きし、ぜひ見たかったからである。
神田さんは、私が新卒の助産婦として東淀川区の「淀川キリスト教病院」に就職した時、同じ産科病棟に勤務されていた。
若いスタッフも時折根を上げるほど忙しい職場だったけれど、タフな仕事ぶりに感心しながら背中を見て多くを学んだ数年間だった。
当時、神田さんからヨットで旅をしていた時の話をお聞きしたことは、ほとんど無い。「昔のことだからね。」と言い、心に封印しているようだった。
数年後、神田さんは定年となり職場を離れ、私は退職した。
あれから10年以上の月日が流れ、私達は再会した。
ヨットで出港する私達に会いに、『ハーモニー』まで来てくださった。
「もう、時効よ。」と言い、神田さんは御主人と過ごしたアストロでの日々を懐かしく、思い出すように沢山話して下さった。
『りばてぃここなつ』 (旧アストロU) |
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「布団はダメよ、私達も初め布団を作っても湿気で湿気でもう大変だったんだから・・・」と笑う。
「主人と一緒にヨットで周ったあのときの思い出があるから今こうして一人で生きて行けるのよ。」と別れ際にそう話してくれた。
今までの暮らしから一変し、ヨットで長期間航海することに、女性はだれでも少しは迷いや不安を感じるだろう。
そんな私の迷いをわかっておられたのかもしれない。 |
今、目の前に静かに浮かぶ、『アストロU』を見ていると、額に汗してアンカーを巻き上げる若き日の神田さんの姿が目に浮かぶような気がする。
5月30日、台風4号が北上して来た。
私達は『ハーモニー』を阿鉄湾の係船ブイに舫った。
四方を高い山に囲まれ、奥に深い小湾だが、水深が25メートルと深く、アンカーを入れるより、地元の人が「多分大丈夫だろう。」というブイに船を託すことにした。
VHFの12チャンネルで海上保安庁の無線を聞き、状況を把握する。
20〜25m/sの、台風の風が吹き出すと不安になり、もしもの走錨に備え、エンジンをかけワッチをしながら、嵐の過ぎるのをじっと待った。
台風避難に適した久慈の池浦
船溜まり |
阿鉄湾普段は静かなアンカリング
ポイントです |
5/30台風4号奄美大島の阿鉄湾
で避泊 |
無線の電波を解析
し画像で台風
を確認 |
心強いことに、同じ湾には海上保安庁の巡視艇も3艘避泊しており、気は楽だったけれど、船尾から岸までたった30メートルの余裕しかない為、座礁した時の準備として、夫から「念のため船外に持ち出すものを準備しとくように。」と言われ、娘と私はそれぞれ防水バッグを用意した。
台風一過、バッグの中身を見ると、娘はぬいぐるみ2つと財布、私はTシャツ3枚にバスタオル、カロリーメイト1日分だった。
どうやら私達は火事場では、まな板と枕を持って飛び出すタイプの人間らしい。
台風5号も温帯低気圧に名前を変えた6月5日、梅雨前線の影響で天気が変わりやすいため、今回はオーバーナイトで一気に宜野湾に向かうことにした。
古仁屋港で水を補給し、エンジンのインペラを交換しストレーナーを掃除、午前10時に出港した。
風も弱く波も小さい。「こんなオーバーナイトなら何日でもいいね」と強がりを言えるほど落ち着いていた。
徳之島から沖永良部島の間の海峡ではイルカの群れに出会いみんなで大喜び。
沖永良部の知名沖を午後8〜9時に通過、深夜12時〜2時頃与論島沖を通過。
6月6日午前10時、宜野湾に到着した。