2004年2月24日 PUERTO GALERA
2月24日、さすがにここまで来ると、辺りの景色は変わる。
熱帯のマングローブが、うっそうと茂り、その後ろを埋め尽くすようにヤシの木が連立している。四方を山に囲まれた、プエルトガレラはマニラへの交通も便利な観光地であり、辺りには沢山リゾートもある。
ここで係船ブイを取るための進入路の中に、大きなサンゴ礁がある。
だから、目印に沿って、ぐるりと迂回してから入らなければならない。
入港前、ヨットクラブを無線で呼べば、ボートに乗ってスタッフが迎えに来てくれる。そろりそろりと走っていると、向こうでテンダーに乗り、こちらに向かってくるテリーとマイケルの姿を見つけた。そして、6年ぶりの感動の再会となった。

2.23.プエルトガレラに到着のハーモニー

プエルトガレラに到着の高田さんと奥さん

ハーモニーをハッピで迎えるマイケル
彼らは、このままマレーシアのKK(コナキタバル)まで、一緒に行こうという。
台風シーズンは、この辺で遊んでいるヨットはみんなKKに行くらしい。
「もしフィリピンに戻りたければ、来年、台風シーズンが終わってから戻ればいい。それに、あのコースは以前日本からNZに戻った時のコースだけれど、向い風でタックタックばかりだよ。
それにフレンチポリネシアやミクロネシアは物価も高いしね。トンガで使ったインターネットは1分6ドルだったよ。」などと言う。
『物価も安いし簡単なコース』というのが決め手になり、私達も、彼らと南下することに決めた。
『シークエスト』は、地元のワーカーを週に何度か雇い、1日600円でメンテナンスの手伝いをさせていた。私達も、洗濯をお願いしたり、燃料を配達してもらった。
洗濯は1キロ200円 燃料は1リットル35円から40円、手数料は私達は120円だったが、シークエストは600円だったという。少し高いので今日は払わなかったんだ。とぼやいていた。
リゾートにいるワーカーの価格なので、田舎に行くと、もう少し安いだろう。

2.25.プエルトガレラの
町並み

プエルトガレラの
町並み

プエルトガレラに
停泊するヨット

2.25.プエルトガレラ係船ブイに舫っています
ここにも時々、漁師が魚を売りに来る。ある日、イカを売りに来た。
しかし前日、市場で買ったイカが、残っていたので断ったのだけれど、なぜかマイケルが「セイコ、イカー、イカー・・」と言いながら、叫んでいる。
この人は、2年も日本にいながら、ほとんど日本語を習得できなかったのに、こんな言葉は覚えているのだ。漁師も強い後押しを得て、嬉々としながらイカを買えと迫ってくる。仕方なく、また2ハイ、買ってしまった・・・。
ここには、ドイツ人の経営する美味しいパンやハム、ソーセージの店もあり、また、地元の人が経営する1キロ300円という価格で好きな部分の肉が買える店もある。
ネットカフェや、マーケット、ラム酒は1本100円で、ビールは35円だろうか。
外国人の経営するレストランでも300円から400円も出せば、美味しい夕食が食べられる。
港近くには大きな教会があり、きちんとした制服をきた女学生が歩いている。
焼けるような夕暮れは、晩鐘の音で静けさを増す。

2.23.シークエストにて久しぶりの再会

テンダーに乗る
お母さんと愛ちゃん

プエルトガレラの
岸辺付近

プエルトガレラの町
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プエルトガレラを去る前日、朝からイミグレーションが現れた。
クラブの申し込み用紙には、チェックインは済んだと書いていたのに、まだ用があるのだろうか。彼らは週2回、ヨットクラブに来るらしい。夫が対応に出たのだが、私もだまってはいられない。今回は夫婦で対決してやる。
『ハロー・・私達もうチェックインも済んでるし、明日ここを出るから用はないでしょう?』
しばらくボートボーイとタガログ語で何か話していたが、『じゃ奥さん気をつけて・・』と去っていった。彼らはシークエストにも来たそうだが、『今日は夫が町に出かけてるのよ。ヨットの書類も全部持って行ってるし、それに私、女でしょう?なーんにもわからないのよぉ・・じゃ、またね』と帰したそうである。次はこの手を使おう。


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