2004年2月15日、サンフェルナンド入港 |
2004年2月11日、石垣島を出てから、海は比較的穏やかだった。
横揺れの激しい海域や、時々、波がデッキを洗うこともあったけれど、心配していたバシー海峡も、2/14幸運にも穏やかに通過できた。
メインセイルは2ポンリーフ、ジブセイルで調節しながら、北東の風に吹かれながら走り14日には、ルソン島北端の島影がうっすらと見えてきた。
満天の星空と夜光虫が輝く海、海と空の境目がわからなくなるような夜の航海。
まるで、ピーターパンに出てくる空飛ぶ船に乗り込んでいるようだった。 |
2/11西表島の西岸沖
を走行中 |
連日の晴天でTシャツでも暑い |
バシー海峡が落ち着いていて助かりました。 |
大好きなラーメンが食べられてご機嫌でーす |
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15日、サンフェルナンド港に入ることにした。
トタン屋根の小さな家が沢山並ぶ浜辺周辺が港のようだ。水はあまり綺麗ではないけれど、子供達は元気に泳いでいる。子供も大人もなぜか船に這い上がってくる。ヨットが珍しいのか何なのか・・・
しばらくすると、部落の漁師、リノの所有するバンカー(アウトリガー付のカヌー)が近づいてきた。
少し話をして、夫は彼に少しの仕事を頼むことにした。
船を安全に泊めるには、彼らの力を借りるのが得策だろうと言う。
『あそこにいる日本の船はリノが商売している』という部落の暗黙の了解になったのだろう。
それからは私達の船には誰も近づいてこなくなり、その後2日間、昼は買い物に出かけ、黄色く熟れた大きなマンゴをしこたま買い込み、その黄色い果肉をほおばる。食材はなんでも豊富で安くて美味しい。市場の中の小さな美容院で、カットとシャンプーをして、夜は波に揺られてゆっくりと眠ることができた。
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サンフェルナンドで漁師のカヌーでカスタムへ |
サンフェルナンドの市場食材が豊富で新鮮です |
サンフェルナンドの
たくさんの小さな家 |
サンフェルナンド港にアンカリングのハーモニー |
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この国の漁師はとても勇敢で、小さなエンジン付のバンカーで遥か沖まで漁に出かける。しかし、漁に出たまま60人もが戻らない年もあったそうだ。
フィリピンでの入国は賄賂をいくら払うか。私達は完全に足元を見られていたと思う。
悪評高いフィリピンのイミグレーションでは、ギリギリと歯軋りするような悔しい思いをした。『フォースエイト』のデイブが、「フィリピンはなんでもジョークだぞ、ジョークにはジョークで返すんだ。」と言っていたけれど、ジョークを巧みに操る語学力が、私達のどこにあるのだろう。
夫は本来、正当に真っ直ぐなんでも通過したいという性格なのだが、それはここで吹っ切れたようである。これからフィリピンにいる限り、寄港地の役人達に、色々と経験させられるだろうけれど、『これからは、フンドシを締めなおしてかかろうな。』と、輝く星を見ながら二人で誓った。
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