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マラッカ海峡で海賊に日本人が拉致されたよ・・

西マレーシアに向け、新たな旅立ちをスタートさせた数日後、友人から、「マラッカ海峡で海賊に日本人が拉致されたよ・・」とのメールが届いた。あるヨットマンは「マラッカ海峡で年間海賊の襲撃は100件以上報告されているのに、ヨットは過去15年間一度も襲われていないんだよ。理由は襲ってもお金にならないからさ。」と言う。
その海域を通った経験のない私達は、「ふぅーん・・・そういうことか・・・」と納得する。

マレー語で数字の「3」を意味するティガアイランドでイカ釣りを楽しみ、クラマン島、国境の島ラブアン、それぞれの島にのんびり寄港しながら3月23日、ブルネイのムアラにあるヨットクラブにアンカーを下ろした。


イカが釣れたよー


イカ釣りの後、テンダーが大変なことに・・

クラマン島で
イカ釣りに挑戦

泣きそうになりながら
墨の掃除

ラブアン島でウインドウ
ショッピング

クラマン島の
コテージ

ブルネイヨットクラブ

ブルネイヨットクラブ
ブルネイは石油の輸出で世界一お金持ちの国といわれている。
昨年9月に王子の超豪華な御成婚があり日本でもかなり紹介されたのではないだろうか。
マレー系の人が多く居住しており敬虔なイスラム教徒が大半である。子供は午前中、公立学校(無料)に通い、午後からは宗教学校に通う。
アルコールの販売は絶対禁止で、見事なくらい、どこの店にも売っていない。労働者は無税で、特に公務員は高給を優遇され、6つもベッドルームのある大きな家に住んでいる。安い労働力はインドネシアやフィリピンから出稼ぎ労働者を受け入れ、
その人たちが住む住居も提供している。ブルネイは物価がマレーシアの2、5倍になり、何もかもが高くなると聞いていたけれど、地元の果物や野菜は確かにそうだが、輸入製品はマレーシアより逆に安くなる。
製品の質も良く、実際住んでみると居心地はよかった。

この国は15年前から教育を充実させることに重きを置き、イギリス、NZ 南アフリカ、などの英語圏の国から教師を招いており、ヨット「アロアナ」のウオーレンとメリーもすでに退職しているが教師として、14年前からブルネイに移住している。
私たちが知り合ったオーストラリアの家族、スー、コーリン ケイト(14歳)もその一組である。

彼らは大阪の「あべの」に3年住み大谷大学で教鞭をとっていた。「あなたの国にはとてもお世話になりました。」と大変な親日家だった。

アロアナ」のメリーと


オーストラリアから
引っ越して来たスー

コーリンとスーの家


自宅で料理の腕を振るうケイト
ヨットクラブはそのような外国人の社交場で、大半は教師、石油会社の社員、パイロットなどがメンバーであり、地元の人の姿は見かけない。クラブのレストランは、お酒の持込を許可しており、また豚肉を使った料理も出すので、地元の人は敬遠するらしい。家族や友人と週末ワインを飲みながらクラブで食事をし、子供たちはビーチやプールで遊んでいるといった光景で、外国のクルージングボートは少数である。

ヨットクラブに
停泊しているヨット

アンカーリング中の船までテンダーで行き来する
ヨットクラブのスタッフ、フィリピンから来ている
今回、目的がありながら、ブルネイをすぐに動かなかった理由は、夫の足の感染である。気づいたのはラブアンで、「蜂に刺されたにしては、奥の筋肉が痛いなぁ・・・」と夫は首をかしげていた。でもまあ、こんなものは数日で治るだろうと楽観的に考えていた。ところが、ゆっくりと、トカゲの毒が体を蝕むように、じわりじわりと、傷は悪化し、リンパが腫れ、頭痛と発熱悪寒が起こってきた。ブルネイで医師に診てもらうと、「何かの感染だな・・こりゃひどい。」と言い、ブルネイ版、「タコの吸出し」をくれた。
これは、表皮を溶かして、膿を外に出すテープだが、傷が火山のように盛り上がり、膿が出始めるまでの数日間、夫はトイレに立つ2mの距離を歩けず、脂汗を出していた。このひどい感染は、2ヵ月後の今、やっと終盤を迎えている。
いったい何に刺されのか・・・だれもわからない・・・。

治療の日々を送る私たちに、日本から再び海賊のニュースが飛び込んできた。「さて・・・どうしよう。」というのが本音である。
私は家族で楽しく旅する目的の航海に、そんなリスクはとんでもないと思う。
津波の後、人の感情がどのように変わってくるのか、今だれもわからないはず。ヨットだから今までは安全でも、大災害の後、これからも安全だと私たちは思わない。これ以上南に行くのをやめるとなると、次は、南太平洋、オセアニアだろう。
娘は今14歳で、高校のことを考えると、それもいいかもしれない。
アジアは、何より物価が安く、食材が豊富でここに入り込むと、他所に行きたくなくなり、ずっとこの海域をクルージングしている船も多い。夫婦だけならそれもいいが、娘の意見は他にあるようだ。

5月9日、「またもや、気がかわってしまったねぇ・・・」と少し反省しながら、アンカーを上げ、再び来た道を戻りだした。
多分、これからもそんなことの繰り返しだろうと思う。
5月13日、住み慣れたステラハーバーで、「おかえり・・」と迎えられた。

追伸・・
6月26日今年はモコがいないので、クダットで船を上架し、家族で一時帰国します。
娘を数ヶ月間、中学に入れるためと、出稼ぎ目的です。
しばらく日本でよろしくお願いします。

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2005