「もういい加減にいやになるなぁ・・・」と夫は呟いている。・・・。
クダットを出てから、セイリングで走ったのはたった数時間。もう4日間毎日向かい風が続く。
ずっと機帆走で上っている。いつもそうなのだ。時期遅し。季節に逆らい風向きと反対に進むのだから仕方の無いことと割り切りながらも、うんざりする。

3月18日(土)ネグロス島の南、ボンボノンに到着した。
台風非難港でもあり、入り口は大変浅く、詳しい海図と海面の色を見て蛇行しながら入港する。奥に行くほど静かなアンカレッジは、毎日20ノットの風が吹き抜けている。
すり鉢のような形状で風を集めているらしい。そのため、アンカーはダブルで入れる必要があり、それ以外にも港にはいくつかムアリングが作られていて、それぞれ持ち主がいる。私達もそのひとつを借りて、安心して停泊できる環境が整った。

驚いたことに、この辺ぴな場所には常時30パイ以上のヨットが停泊しており、その30パーセントは日本の船だった。

ボンボノンはフィリピンを周るヨットが必ず耳にするという有名なアンカレッジである。
居心地がいいと感じた船は何年も住んでいる。反対に悪いと感じて出て行く船も多い。
数件のレストランがあり、陸の暮らしがよければ、竹で作った雰囲気のあるコテージも安く借りることができる。レストランの食事も、十分満足できるものだし、ドゥマゲティという大きな町まではクルマで1時間、一人300円払うと、乗り合いの車に乗せて連れて行ってくれるし、水、燃料、洗濯、すべて近くのレストランで頼むと、船まで運んでくれる。船に居ながら携帯電話でインターネットを使い、情報には事欠かない。

アメリカ人のダイアンは、ご主人が70歳半ばとなり体力的な限界を感じていたということもあり、ここで現地の子供を集め、週1回のアートスクールを開校している。
資金は自分たちの年金と少しの寄付、ボランティアでまかなっている。
魚を採る、洗濯、刺激の少ない単調な日常生活だけを続けていると、子供の創造性が育まれにくいという。彼女は外国人のできることとして地元の子供の想像力を高め、新しく収入を得られる仕事を作り出せる手助けをしている。
愛も1回だけその学校に体験入学し、折り紙や、絵を描いて静かなひと時を過ごした。
現在、学校の運営をお手伝いしてくださるボランティアを募集中である。

フィリピンは本当にいいところだと思う。
穏やかで美しい海と、桁違いに安い物価、
フィリピンの人は本当にやさしい、やさしすぎる。
ただ、ほんの少し感じる、悲しい居心地の悪さはなんだろう。

『ボンボノンには男を捕らえる罠が仕掛けられているからなぁ・・』とあるヨットマンが冗談混じりに話していた。
初老の外国人男性が、フィリピンを最後のフロンティアと選び、ここに終の棲家を求め、そして孫のような女性をクルーと呼んで、暮らしている。
お互い持ちつ持たれつなのだろう。選択肢のない発展途上国の女性にとって、外国人のクルージングワールドはまぶしいくらい豊かな、贅沢なものなのかもしれない。
この環境について、日本人の私に何も物申す資格はないだろう。

ボンボノンに到着して2週間後、新しく日本のヨットが入港して来た。
大分の『風来末(ふうらいばつ)の浅井さんご夫妻である。
彼らは、石垣から台湾に入港し、パパラギの家村さんを訪ねてここまで来られた。
私たちはこれからパラオ、オーストラリアへ行くと言うと、彼らもあっさり同じところに行くと決めてしまった。
決まると早いもので、数日後に出港しようと話はまとまり、4月6日、派手な見送りの中、ほら貝の『サヨナラ』の音を聞きながら2艇揃って静かにボンボノンを出港した。

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2005