「梵風」瀬戸内海シングルハンド・ミニ航海記

中北幸次

はじめに

2011123日、WOYC忘年会の席上で明楽さんから「瀬戸内海をシングルハンドで回ってきたミニ航海記を書いてよ」と言われた。一瞬、私のような初心者の航海記なんかと思ったが、自分自身の記録としても、またベテランのみなさんにアドバイスしていただけるチャンスにもなると思い、書かせてもらうことにした。

2011年は、東日本大震災があり、福島原発事故があり、紀南地方には大水害があり、大変な年になってしまったが、私自身もいい年ではなかった。

退職して、「梵風」を手に入れたもののエンジン整備などですぐには乗れなかった。
さあ今年からと思っていた。5月の連休に白浜まで、2泊3日ではじめてシングルハンドで行った。6月に沖ノ島沖にチョクリに行った。子持ちの丸アジと型のいいサバが面白いように釣れた。クーラーに入らなくなって帰って数えると108匹あった。
この数が悪かったのか、あくる日、電信柱が曲がって見えるのでおかしいと思い眼科に行くと網膜はく離だった。緊急入院、緊急手術ということになった。幸い手術は成功したが、左右の見えるものがずれてしまい、夏の間は何もできなかった。
仕方なくビールばかり飲んでいたもので、秋口には太りすぎで体調を壊した。減量に取り組み、体調を戻し、「梵風」に新しいGPSを取り付け、今年最後のチャンスと思い計画したのが、「瀬戸内海島巡り」だった。

5泊6日+1日のミニ航海記、お読みいただければ幸せである。

*

準備から出航
11月21日は準備に追われた。「衣・食・住」に分けて考えた。「衣」「食」はそのままだが、「住」は「船」。燃料は満タンにして予備に20ℓ持った。寒さ対策として、ネットで購入しておいたカセット式のガスストーブを積み込んだ。これが重宝した。
カセット1本で3時間持つ。寝る前の暗い船室で、ストーブの赤い火は気持ちも暖めてくれた。もちろん酸欠が怖いので、寝るときには消した。


22
日早朝5時出航と決めて、21日は和歌浦で船に泊った。寝具は羽毛の3シーズン用の寝袋。寒くてたまらない時のために、使い捨てカイロも用意したが、使うことはなかった。
4時過ぎに目を覚まし、まず湯を沸かしインスタントコーヒーを飲んでから出航準備にかかった。航海灯の点灯も船を下りて確認した。いざ出航。

港を出てすぐに進路を真西に取った。オートパイロットに任せて、暗い海を見ていると前になにかある。げっ、テトラポットだ。急いでオートパイロットを外し舵を切った。危ないところだった。ぼんやりしていたら、田ノ浦漁港前テトラポットに激突で、この旅は終わっていたところだった。

*

沼島から亀ノ浦港へ
夜が明けたらセールを上げようと思いながら、結局上げないまま、11時前に沼島に入った。

岸壁に舫ってから、まずご飯を炊く準備をした。水の関係で船では米を磨げないので無洗米を持ってきていた。これを圧力釜で炊くのだが、初めに十分水に浸しておくのがコツということをこの間覚えた。圧力釜に米1.5合を入れペットボトルの水で浸した。
30
分は浸しておきたい。買い物に行くことにした。入念に準備したはずだったのに、バケツを積み忘れていた。釣りに行った際、汚れたタオルなど入れて持ち帰ったままになっていたのだ。それに親指の先がひび割れてきてバンドエイドもほしかった。店はすぐに見つかった。なんでもある店だった。バケツもバンドエイドも買うことができた。

岸壁に舫った挨拶をしておかなければと、老人に漁協の場所を尋ねると、老人いわく「挨拶に行く気持ちがあるだけでいい。いけば女の子しかおらんだろうし、女の子は自分で判断できんから、組合長に連絡してということになって、かえって迷惑をかける。
あの場所なら大丈夫や。なんか言われたらわしに言うたらええ」と。聞くと、私の船の少し先の建物がそのご老人の工場だという。
「ヨットで来るものの中には、マナーの悪いのがおるよ。わしの工場の水を勝手に使い、この前なんか、工場の電気まで使っておった」と話される。「島の人口はどんどん減っていく。戦後最も多い時で、3,000人以上この島にいたこともあったんやが…」と。ご老人としばらく話をして、そのまま船に戻った。

圧力釜でご飯を炊くのは早い。浸しておいた水をいったん捨ててから、米と同量の水、この場合1.5合の水を入れ、ふたをしてコンロにかける。火は強火。5分もすれば沸いてきて圧力弁がぴょこんと飛び出してくる。そうすると弱火にして6分。圧力釜の説明書では5分だが、私の船のコンロだと6分がいい。6分たてば火を消して蒸らし10分以上。

火を消した時点で船を出航させ、走りながら昼食にした。永谷園のあさげとサバ缶、それにできたてのご飯。ご飯は半分食べ、半分は夜に残した。

写真1

大鳴門橋を
くぐる


←click

沼島を出てしばらくたってから、GPSの異常に気がついた。船の位置が沼島のままで、進路は北を指したまま動かない。いろいろ触ってみたが直らない。そのまま大鳴門橋(写真1)をくぐり、亀ノ浦港に向かった。

この日、結局セールは上げないままだった。
亀ノ浦港では、うずしお観潮船の発着所の横にある公共岸壁に舫った。ここには本船が着岸するための大きなクリ―トが並んでいた。どこに連絡すればいいのかと思っていると、警察官が自転車でやってきたので尋ねると、県の管理だという。

県の土木課に連絡して事情を言うと、パトロールの人がやってきた。「何か言われれば、潮待ちしているとでも言ってもらえれば…」と、いささか迷惑そうではあったが、きっちり書類に書くことを書いて、岸壁使用料200円を支払った。

*

大塚国際美術館
亀ノ浦港に来たのは、大塚国際美術館に行きたかったからだ。岸壁にはあちこちに釣り人がいたので、行き方を尋ねると、歩いてすぐのところに無料送迎バスの乗り場があるという。早速行ってみる。バスは私一人を乗せて大塚国際美術館に向かってくれた。美術館は山の斜面に建てられていた。

大塚国際美術館は、陶板に世界の名作を焼き付けた、いわばイミテーションの美術館。
その入場料が、なんと3,500円。イミテーションに3,500円も取るのかと思いつつ、ここまで来て入らないわけにはいかないと、入場券を買って館内へ。まず驚かされたのが、エスカレーターの長いこと。どこまで登るのかと思うほど長い。しかしまだこれでは3,500円にはならない。

エスカレーターを登り切って、まず入った部屋がすごかった。バチカン宮殿・システィーナ礼拝堂にある、ミケランジェロの壁画、最後の審判の原寸複製がそこにあった。同じ大きさの空間がそこにあった。いやあ、これはすごい。早くもここで3,500円は元を引いた。

ピカソやマチスやモジリアニや、古今東西有名作家の代表作が原寸大で複製され展示されている大塚国際美術館。イミテーションとはいえ、その精度の高さ、画集で鑑賞することを思えば、これは値打ちがあるなあと思った。

美術館に入ったのが3時半。1時間半は短かすぎた。

帰りは、美術館までタクシーに来てもらい、お風呂に入れるところへとお願いし、鳴門グランドホテルに行ってもらった。入浴料900円。鳴門大橋を見ながらの露天風呂「天空の湯」はなかなかいいものだった。
ホテルで、鳴門金時でつくったイモ焼酎とちくわを買って帰った。

本船が!!
帰って驚いた。私の船のすぐ前に本船が入っていた。

岸壁にはタンクローリー車が横付けされ、オイルを汲みいれていた。私は、「じゃまになったでしょう。すみませんね」と、挨拶に行った。「いやいや、大丈夫ですよ」と言ってもらえたが、その船が岸壁を離れるときに驚かされた。本船のスクリューが回りはじめたとたん、私の船は木の葉のように揺れはじめた。私は必死でボートフックを岸壁に突っ張り、本船が離れていくのを待った。いやはやこれでは、本船が接岸する時にもかなり揺られたのだろう。

夕食は、ちくわを肴にイモ焼酎のお湯割りと、お昼の残りのご飯に、レトルトカレー。
冷たいご飯のカレーはいまいちだった。

夜中に、ガラガラガラという大音響で起こされた。何事かと寒い中、外に顔を出すと、本船が少し離れたところに投錨していた。私の船があるので接岸できないのかと、一瞬申し訳ないと思ったが、いやいや、県の担当者に見てもらい、岸壁使用料も払ったのだから文句はないだろうと思いなおし、また寝ることにした。朝起きてみると、その本船はいなくなっていた。きっと潮待ちしていたのだろう。

*

亀ノ浦港から小豆島へ
11月23日、午前6時30分ごろ夜が明けてくるのを待って出航した(写真2)。

写真2
早朝に亀ノ浦港
を出航


←click

この日の目的地は小豆島。土庄まで行くか、内の海にするか、一番近い坂手にするか、まだ決めかねていた。GPSが故障していなかったら、小豆島からさらに西へ、瀬戸内海の島巡りをしながら、

山口県あたりまで行って、そこから瀬戸内海を引き返すか、四国周りに挑むか、そこで考えようと思っていた。

しかしGPSが故障の上、海図も持っていなかったので、計画を変えて小豆島から家島へ、さらに明石海峡をこえ淡路の翼港へ、そこから大阪湾を横切り、「梵風」を買いGPSを付けてもらった堺港の日本OPヨットへ入り、GPSを修理してもらうため船を預ける。私は電車でいったん帰ってくるということにした。

風は向かい風だったので、この日もセールは上げず走った。平均5ノット。小豆島まで5時間、土庄まで回れば、さらに2時間ぐらいかかるだろうか。
結局、次の家島に行くことを考え、一番近い坂手港に入ることにした。

「プレジャーボート・小型船舶用港湾案内」によると、坂手港は小豆島の中で、土庄港と並び観光の入り口と紹介されていた。そういうこともあり、坂手港に入った。

係留場所を探して港の中を回った。労働者風の人が56人集まっていたので、そばに行って尋ねると、「この岸壁でいい」と言ってくれた。カキが多いので、8本のフェンダーをすべて吊るして舫いを取った。
教えてくれた人たちのところに行って、どこか宿泊できるところはないかと尋ねると、フェリー乗り場に隣接した、町営のサイクルセンターの宿泊所が安くていいと教えてくれた。

早速行って、宿泊を申し込んだ。すると、宿泊はできるが食事はできないという。食事するところはあるのかと聞くと、食堂「大阪屋」があると言うし、お風呂にも入れるので、泊ることにした。ちょうど昼食時間になっていたので、「大阪屋」に行った。お遍路さん姿の人でいっぱいだった。そういえば小豆島には、四国88カ所のミニコースがあるのだった。
「大阪屋」はメニューも多く、楽しい食堂だった。昼はかつ丼を食べ、夜は何時からかと聞くと、夜は客が少ないから予約になるという。じゃあ夜は6時に来るからと予約した。

サイクルセンターに帰って、自転車を借りた。540円。

変速機のないママチャリをこいで「24の瞳」の舞台、岬の分教場と映画村まで行った。アップダウンの道でいい運動になった。映画村はお土産村だった。

坂手には商店らしいものは一つもなかったので、映画村を見た後、さらに先まで朝食を買い出しに走った。途中、醤油屋がたくさんあり、観光バスが並んでいた。湯浅の醤油屋さんに比べ小豆島の醤油屋さんは規模が大きい。佃煮屋も多かった。

コンビニで、パンと牛乳を買い坂手に戻った。
5時に風呂に入り、6時に「大阪屋」に行った。亀の手の塩ゆでがあった。若い頃、長崎の友達が食べ方を教えてくれ知っていたが、和歌山ではあまり食べない。久しぶりに食べた。あと、チヌの塩焼き、海鮮丼を食べた。もちろん、イモ焼酎のお湯割り付きで。

宿に帰って、すぐに寝てしまった。

*

強風注意報発令
夜中、風の音で目が覚めた。吹いている。

船はすぐ近くなので、見に行った。波が入って来て、恐ろしいほど揺れていた。干潮で、フェンダーがカキで破れるのではないかと心配になったが、どうすることもできなかった。
実は、昼間この場所に係留した後、少し離れたところに町が作った浮き桟橋があり、釣り道具屋さんが管理していると聞いたのだが、まさかこんなに荒れてくるとは思わなかった。

ああ、移動しておけばよかったと思ったが、あとの祭りだった。
夜が明けるのを待ち兼ね、釣り道具屋さんに行った。奥さんがいた。訳を話し、浮き桟橋に移動するから、舫いを取ってほしいとお願いした。「それくらいいいよ」と、気持ちよく引き受けてくれたので、移動に取り掛かった。この日、ネットで調べると、香川県には午前5時に強風注意報が出ていた。

浮き桟橋に釣り道具屋の奥さんが待ってくれていた。舫いロープを渡したが、船はあっという間に風に流され始めた。私はボートフックで流されるのを止めようとしたが、風の力はすごい。じりじりと体が伸ばされてきた。奥さんも必死に舫ってくれ、なんとか前後とも舫うことができた。ほんと、有難かった。

この浮き桟橋も、台風級の風が吹くと危ないらしいが、この日の風なら、これで大丈夫だと思った。岸壁と浮き桟橋があるなら、どんなに無理をしても浮き桟橋を選ぶべきだとつくづく思った。

さらに反省。岸壁のカキで、フェンダーが痛んだし、フェンダーに着いたカキの粉がハルを傷つけてしまった。岸壁に係留しなければ仕方のない状況はどうしてもあるだろう。普通のフェンダーだけでなく、発泡スチロールにシートをかぶせた俵型のフェンダーなど用意してくるべきだった。タイヤに布をかぶせたフェンダーを作っていたのに、重いからと置いてきてしまっていた。

「名誉の負傷」と言いたいが、経験不足による「不名誉の負傷」を負ってしまった。

*

寒霞渓
11月24日は風待ちで、予定外の小豆島観光をすることができた。

小豆島と言えば「寒霞渓」。国立公園第1号だそうな。
バスに乗って向かったが、途中の乗り換えで連絡が悪く1時間待ち。これはかなわないと思い、タクシーでロープウェイ乗り場に向かった。ロープウェイは往復チケットを買った。祝日で紅葉の見ごろだった昨日23日は、ロープウェイは2時間待ちだったとか。この日は平日でよかった。それでもロープウェイは満員でいすには座れず、窓からは下の谷しか見えなかった。
上はレストランと、土産物屋。見晴らしはよかったが、すごいとは思わなかった。
上で案内板を見ていると、歩いて下るコースがあった。寒霞渓裏8景を見ることができるらしい。距離1.8キロ。大したことはないと思い、ロープウェイ片道分無駄にはなるが、歩くことにした。
結果は歩いてよかった。美しく、面白い景色を見ることができた。今回、カメラを持って行ったものの、あまり写真を撮っていなかった。しかし、ここではしっかり撮ったので、写真で紹介したい(写真38)
いい景色を見せてもらったが、山道の下り1.8キロは結構足にきて、この後筋肉痛に悩まされた。


写真3

寒霞渓ロープウェイ
頂上からの眺め

写真4

48、寒霞渓裏八景を見ながら徒歩で下った

写真5

写真7

写真8

写真6

小豆島から家島へ
24日の夜も「大阪屋」。この夜の客は私一人。好漢の主人と美人の奥さん、かわいい子どもたち4人といっしょに、楽しくしゃべりながら飲んで食べた。「大阪屋」にはまた来たいが、坂手港はちょっと怖い。寝る前にネットで調べると、明日は高気圧がすっぽりと包みこむ気圧配置で穏やかになるらしい。明日は帆走しようと心に決めて布団に入った。

ここの宿泊所の管理人さんは、夜は帰り、朝7時に出てくるので、宿泊料は前日に清算し、朝は部屋を片付けたあと勝手に出てきた。ちなみに宿泊料は一日3,500円だった。

25日早朝、坂手湾は穏やかだったので、フルセイルに帆を上げた。そのまま機帆走で湾を出ていくと、湾を出たとたんにビュンビュン吹き、白波が立っていた。

これはいけないと思い、2ポイントリーフすることにした。船首を風上に向け、いったん二つのジブをしまい、メインセイルとガフのシートをゆるめ、リーフ用のシートを引く。これがなかなか重労働。何とか出来たと思い、走りはじめて気がついた。きっちり2ポイントになっていない。なぜかと考えた。メインシートがゆるんでいなかったので、ブームが下がっていたのだ。もう一度ゆるめてやろうとしたが、風をはらんだ状態ではびくともしなかった。とにかくいい感じに走っているのだから、これでいいと思いそのまま走った。

西南西からのランニング。風速は最大で20ノットを超し、速度も7ノットから最大で8ノットを超した。時々西からのブローが入ると、2ポしていても大きくヒールした。

誰かと乗っていれば、大したことはないし、気持ちがいいぐらいなのだろうが、一人だと走ってくれればくれるほど、心細くなる。

家島諸島が近づいてくると、最初に三ツ頭島、長島、松島が見えてくる。松島が近づいてきて気がついた。定置網が広がっている。どこまで続いているのかわからない。かわすように舵を切ると、完全に追い風になった。舵が思ったようにきかないまま、定置網と平行に走った。途中に間を抜けられそうな感じのところもあったが、もし間違っていたらと考えると、とても入れなかった。とにかく定置網の切れるところまで走った。最後に大きな浮標があって定置網が切れた。ホッ、だった。

家島ではまず漁協のあるところに入って、漁協で係留場所を聞くことにした。仮に舫った桟橋には、係留ロープがあったから、いつも決まった船が舫われていることはわかったが、とにかくまず聞こうと漁協に行った。しかし時間がちょうど12時を回ったところで、漁協には女性が一人。1時を回るとみんなが帰ってくるからもう一度来てほしいという。

その間に私も昼にしようと船に戻る途中、巡航船関係らしい男性がいたので、係留場所を聞くと、「今の場所は、夕方船が帰ってくるからダメ。その後ろの船は、動かないから抱かせてもらえばいい」と教えてくれた。どうせ今の場所はダメなのはわかっていたので、漁協の人に教えてもらう前に、とにかく後ろの船に抱かせてもらうことにした(写真9)
船を移動させ、船でカップラーメンと朝の残りのおにぎりを食べた。おにぎりは、寒霞渓の帰り、タクシーにスーパーで待っていてもらい買ったものだった。

1時を回ったので漁協に出かけた。漁協の人は、「おそらく動かない船だから大丈夫と思うが、うちの船でないから何とも言えない。もし文句を言われたら、ここに移したらいい」と、漁協所有の船を教えてくれた。
舫ったまま家島散策に出かけた。家島は、宮地区と真浦地区の二つの在所からなっている。私が船を舫ったのは宮地区で、それもかなりはずれの方だった。道をどんどん歩いて行ったが、湾は細長く奥深かった(写真10)


写真9

家島漁協の前に舫った
「梵風」

写真10

家島漁港奥からの眺め

一番奥まったところで、おばさんたちが4人釣りをしていた。なにを釣っているのか見に行くと、サビキでイワシを釣っていた。いい型のイワシだった。
おばさんに、家島の見どころを聞くと、「そんなのないよ」と言いながら、「どんがめさんかな」と教えてくれた。
坂道を反対側に越えると真浦地区だった。行ってみてわかったが、賑やかなのは真浦地区、旅館なんかもあった。銀行もありATMもあったので、少しお金を下ろしてみた。

船着き場の近くの案内板を見ると、おばさんが言っていた「どんがめさん」はすぐ近くだった。忠犬ハチ公のように、ご主人の帰りを待ち続けたウミガメが、石になってしまったものだと、近くで魚を売っていたおばさんが教えてくれた。犬とご主人はよくわかるが、ウミガメとご主人とは…、どんなご主人なんだろうと思ったが、それ以上聞かなかった(写真11)

さらに歩き、途中から引返してきた。家島は造船が盛んなようで、本船のスクリューを作る工場もあった(写真12)

写真11

どんがめさん

写真12

積み上げられたスクリューが
面白い

歩きながら見ていると、ヨットを舫わせてくれそうな浮き桟橋がいくつかあった。
わかっていれば、真浦まで入ってきた方がよかったのになあと思いながら歩いた。

先ほどの釣りをしているおばさんたちをまた覗いた。一人のおばさんは、手早くイワシを三枚に下ろし、皮をむいていた。40匹釣ったそうだ。下ろしたイワシは、三杯酢に漬けて食べるのだという。
船まで帰ってくると、高校生ぐらいの女の子が三人、桟橋で釣りをしていた。
この島は、女性が釣りをする島なのかと思った。女の子たちは、キャッキャ言いながらサビキでアジを釣っていた。

時間は4時になっていた。2時間余り散策したことになる。

夜は、漁協横のお好み焼屋「楓」で食べて飲んだ。奮発して楓焼1,300円を注文したが、海鮮たっぷりの野菜炒めで、肴にはぴったりだった。

*

家島から明石海峡、翼港へ
11月26日、家島を夜明けと同時に出航した。この日の潮止まりは12時4分だったので、その時間以後に明石海峡を越えればよかった。

しかし、30分早く着いてしまった。
30分ぐらいならもういいかと思い、海峡に向かった。橋が近づくと波が激しくなってきた。
それも来る方向が分からない変な波だ。大きな波を越えたと思った瞬間、別の大きな横波を受け船は横倒しにされるほど傾いてしまった。私は舵とウインチにしがみつき落水しないように必死だった。ガチャン、ガチャン、ガンガラガラガラ、キャビン内はでんぐり返ってしまった。
船体が復原するや急いで反転して引き返した。普通の釣り船なら転覆させるところだった。
バラストの入ったヨットだから助かったのだと思った。


真13

明石海峡大橋を
くぐった

波の静かなところまで戻り、30分時間をつぶした。少し淡路島に近いところを通りすぎたのかと考えた。磯波と転流前の複雑な流れで増幅された大波が出来たのだろうか。正直、ちょっとビビった。12時を回ったので、恐る恐る、今度はもっと沖合を海峡に向かったが、嘘のように、あっさりと明石海峡大橋をくぐることができた(写真13)

明石海峡から淡路島の翼港までは、2時間もかからなかった。途中で電話を入れて、ビジターバースの予約を取った。
入港すると、クルーザーが2隻とヨットは私だけだった。

交流の港・翼港は、潮流にできるだけ影響を与えないようにと、流線型に作られた人工島だが、北が開いているので、まともに北風が吹くと波が入ってきそうだった。
港の管理人さんに宿泊施設を聞くと、翼港にはないという。向かいにホテルがあると言うので、歩いて橋を渡り聞きに行った。えらい立派なホテルだった。名前は、ウェスティンホテル。フロントで聞くと満室だという。仕方がないので、この日もヨットに寝ることにした。

海峡越えででんぐり返ったため、この日はまだ昼を食べていなかった。ホテル前のタクシーに乗り、食堂に連れて行ってもらった。タクシーの運転手さんに、東浦と言うところに天然温泉「花の湯」があるのを教えてもらった。タクシー代を考えると、ホテルの風呂に入った方が得かもしれなかったが、風呂の帰り、スーパーでうまいものを買って、夜はヨットで一人宴会をしようと決め、「花の湯」に行くことにした。
この日は、私の61回目の誕生日だった。

いったん翼港に帰り、夕刻まででんぐり返った船内の整理をした。ふたたびタクシーを呼び「花の湯」へ。気持ちのいい湯だった。家島では風呂に入れず、さらに一日潮風に吹かれてきたものだから、最高に気持ちがよかった。

帰りは、スーパーマルヨシでマグロの刺身やら寿司やら、朝食分のパンなども買い込んだ。

満室で断られたウェスティンホテルだが、運転手さんが言うにはえらい高級で、一泊2万円ぐらいはするらしい。スーパーマルヨシのマグロで、安くついた。

*

翼港から堺へ
11月27日、夜明けとともに翼港を出港。堺にまっすぐ進路を取るとまともに向かい風だった。クローズホールドで帆走しようかと迷ったが、堺に午前中に着きたいという気持ちがあったので、機走で突っ切ることにした。距離は長くなってでも、機帆走で切りあがって行った方が良かったのか、実はよくわからない。

とにかく真っすぐに行った。明石海峡の流れを受けるところは波が大きく、神戸空港沖は波が悪かった。向かい風の中、スプレーを浴びながら走ったが、堺が近づくと嘘のように波がおさまり、風がなくなってしまった。
実はこの日、日本OPヨットの出島ヨットクラブの皆さんが、11時スタートでヨットレースをやると聞かされていた。


写真14
出島ヨットクラ
ブのレースの
一こま

堺に着くと、ちょうどレースがスタートし、14艇のヨットが沖に向かって行くところだった。風は追い風だが微風。皆さんスピンを上げながらも苦戦していた(写真14)

私は、各艇の写真を撮った後、先にヨットハーバーに向かった
事務所でコーヒーをいただき、撮りたての写真をパソコンに移したりしていると皆さんが帰ってきた。微風なので、沖の回航ブイのところで切り上げたという。3時からのパーティーにお邪魔させてもらった。
レース中にケンケンを引いてサゴシを釣った人がいて、私が腕を振るい、刺身にした。

5時過ぎにはパーティーも終わり、南海電車で帰ってきた。

*

堺から和歌浦へ
11月28日夕方、日本OPヨットから電話があって、GPSが直ったという。やはりアンテナの接触に問題があったようだ。取り付けた者がねじを締めすぎ、接点を傷めたらしい。
ハンダのやり直しで解決したという。

その時の電話では、12月1日に回航に行くと言ったのだが、29日の夜に気象情報を見ると121日は荒れそうな感じなので、急きょ30日に行くことにした。

30日早朝、5時台の電車で堺まで行き、そこからひと駅普通電車で戻ると湊駅。湊駅からヨットハーバーまでは徒歩で10分もかからない。

7時15分に「梵風」は和歌浦に向けて出航した。
この日はフルセイル、機帆走で走った。平均5ノット強。本当に穏やかで、今回の旅で一番ゆったりした。ゆとりでケンケンを流した。すると8時ごろサゴシが釣れた。パーティー会場で刺身にしたのと同じサイズ、兄弟サゴシだった。

予定だと帰りつくのは午後4時。クーラーに氷は入っていない。わさびと醤油は持っている。まな板・包丁もある。仕方がないので船上で刺身にした。

サゴシの身は柔らかいと思っていたが、釣りたては違う。しっかりして、モチモチしている。もちろん美味い。のんびり操船しながら、刺身ばかり食べていた。すると10時ごろまた兄弟サゴシが釣れた。これは氷のないクーラーに入れ持ち帰ることにした。

サゴシの食べすぎで昼ご飯は食べられなかった。
予定通り、きっちり4時に我がホームポート、ベイサイド和歌浦に帰り着いた。


おわりに
今回、こんな風に書かせてもらえるとは思ってもいなかった。わかっていれば、もっと小まめに、写真を撮ったのにと悔やむばかり。そのことも含め、少し賢くなった気がする。

私の拙いミニ航海記をお読みいただいたことに感謝申し上げるとともに、気付いたこと、私に足りないもの、間違っていることなど、お教えいただければと願うものである。

**
*
*